盗まれたおもてさま
昭和四十七年のことですが、神殿の奥深くしまわれていたおもてさまが、十一面も盗まれました。
盗難に会ったのは、南信濃村中立の稲荷神社です。
この地区には二つの神社(日月神社)があって一年交たいで霜月祭を行うしきたりとなっていました。
二つの神社のおもてさまは、共有ですが、何しろ二十五面のうち十一面も盗まれたから、氏子は
もちろん村をあげて大さわぎとなりました。
警察も一生けんめい犯人をさがしましたが、山の中の神社のことで、それらしい人をみた人もなく、
そう査はゆきずまってしまいました。
そこで警察では、翌年の二月に、「重要品ふれ」(長野県一号)として、全国にビラをくばり、人々
の協力をもとめました。
しかしその甲斐もなく、なんの手がかりをつかむこともできませんでした。
困り果てた氏子たちは、京都の面師にたのんでおもてさまをつくることにしました。
そうはいってもお金がいることなので、氏子たちはたいへん苦労してお金をつくり、新しいおもてさ
まをつくることになりました。
ところがつくるについては、何かもとがないとできないので、因ってしまいました。
ところがさいわいのことに、しろうとの人がとった写真がみつかり、そのおかげで十一個のおもてさ
まがつくられたのです。
めったにないおもてさまの盗難事件は、おまつりがくるたびに、ほろにがい思い出として語り伝え
られています。
祭りを守ってきたむら人たち